「家族と過ごす大切な時間」の幸せをもっと噛み締めよう
「象の背中 旅立つ日」を視聴した。
自分自身、一児の父親だから、余計に感情移入してしまった。
ゾウのお父さんが余命幾ばくも無いと告げられてからの、平和な日常風景にジーンと来たと同時にハッとなった。
子供と一緒にご飯を食べる。
子供と一緒にお風呂に入る。
当たり前すぎて日頃何も思わないが、特別ではない、そんな些細な日常こそが「幸せ」なんだとつくづく思った。
もし自分が余命半年と告げられたらどうだろう?
何か特別な事をと考えてもみたが、結局日々の幸せを感謝しながら、残りの人生を生きるくらいしか思い浮かばなかった。
残された妻と子供に、自分は何を残せるだろうと思ったが、何にも無かった。
しかし「もし自分が余命半年と告げられたら」どころか、実際は今日、車に乗っている時に事故で死ぬかもしれないし、1ヶ月後、突然心臓が止まってしまうかもしれないのだ。そんなに早く死期が迫ってなくても、間違いなく人は皆平等に、死に向かって毎日確実に歩んでいるのだ。
病気になって初めて健康の大事さがわかるように、自分の死期を悟って初めて生きていることの喜びがわかるんだろうか。
確かにそうかもしれないが、そうだからこそ「象の背中 旅立つ日」のような作品を見ることによって、感動するだけじゃなく、「日常の幸せに感謝する」ということを思い出さなければならないと思う。
毎日風呂上りに娘の髪をドライヤーで乾かしながら、「めんどくせー。いいかげん自分でやったら?」と思っていたのだが、これからは喜んでやらせていただきます(笑)。いつまでも父親に甘えてくれるわけじゃないんだし。
「家族と過ごす大切な時間」も、一期一会の精神なんだなあ。
※私は会社の昼休みに「象の背中 旅立つ日」を視聴したのだが、これはおススメ出来ない。夜一人でこっそり見るべし。始業のベルがなっても涙が乾かないので大変苦労した!
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